グループワークをしていて思うこと

グループワークをしていて思うこと。

2人一組だと、
相手のテンション(やる気・緊張)や「間(ま)」に
ほとんどぴったりと寄り添いながら作業が出来る。

3人一組でも、
他の2人の気持ちを感じながら、
自分の気持ちをそこに重ねていける。

4人、
まだ、フェアに話せるかな。

5人、
多い。
声の大きい人が活躍し始める。
話したい気持ちはあるが、
言葉は飛び交い、加速していく。
高速道路に入れず、地道でウロウロ。
さて、ようやく自分が話していても、
その言葉はどこかに着地しているのだろうか、、。
後ろからクラクションの音が聞こえる。

6人~
もはや、黙っていても、場は進む。

この人数が多くなってきたときに、
「ファシリテーション」の技術が必要なのかな。

「ほんもの」のファシリテーターが居るとき、
たとえその場に大勢の人数が集まっていたとしても、
自分の、心の奥にある、
まだ、言葉にならない、「何か」を
この人は丁寧に扱ってくれるだろう、と安心できる。

今までの成長社会では「リーダー」がまとめれば良かった。
なんだかんだ言っても、「リーダー」の発言で場が決まっていく。
ほとんどの会社や組織はこの形だろう。
別に否定しているわけではない。

でも、成熟社会において、
ワークショップ型のリーダーが求められる時、
トップダウンでもなく、ボトムアップでもなく、
グループのメンバーがフェアに参加できる「場」を作る。
これがファシリテーターの作業の一つだろう。

合唱はコミュニティアートでもあるので、
この「場」を生成する作業は必要だと、
少なくとも僕は思っている。

でも、それと同時に、
作曲家の創った音楽を、
指揮者と合唱団は再生する作業も要る。

その作業をするとき、
ファシリテーションとは相反する働きが生まれていないか。

そんなことを、
グループワークをしていて思っている。

余談

今、NHKで合唱教室の番組が流れている。
Nコンで「勝つ」ためには効果的かもしれない。
でも、あの
「ユニークな指揮者」&「一生懸命なこども」
という構図はちょっと息苦しくないか。

編集された一部しか見ていないので、
なんとも言えないが、
自分はNコンの指揮者像より、
ギャレスマローンの在り方を支持する。

・・・まあ、ギャレスも編集されたものだけど。

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