オチの無いワークショップについて

仕事が終わった後、アートエリアB1で行われたダンスワークショップ「踊りにおいでよ」に参加しました。色々な意味で衝撃的なワークショップでした。ダンサーの砂連尾理(じゃれお おさむ)さんと、大阪大学教員の西川勝さんが進めているプログラムで、今回で6回目だそうです。「ダンスワークショップ」というからには、ステップを踏んだり、汗をかいて「爽やかな気持ちになろう!」みたいな落としどころなのかな、と思っていたのですが・・・。

簡単なストレッチをした後、「人間ベッド」というワークをしました。両手両足を地につけて土台になった4人の上に、一人が寝ころび、下の4人は上に寝ころんでいる人を躍らせる、というワークでした。いきなり見ず知らずの人と密着しあう点には少し違和感を感じましたが、自分が上にのっている時は、動くビーズクッションに身を委ねているようで、確かに気持ちよく感じました。ワークの後に設けられた、西川さんによる「語り」の時間が印象的でした。西川さんは、参加者を再び円に座らせて、一人一人の感じたことを「言葉にする」ために、丁寧に時間を取られていました。場を盛り上げようともせず、どこかに導こうともせず、オチをつけてまとめようともせず、ただ一人一人の声に耳を澄ましていました。なかなか出来ることではないな、と思いました。

次のワークは現代的というか、なんというか。。参加者は蛇口から流れる水を見た後、その水をペットボトルに入れて、その水と踊る、というワークをしました。「水と踊る!?」なんて、最初は戸惑いましたが、ペットボトルの中の水をじっと見ている内に、「ああ、確かに、こういう社会生活から削ぎ落とされるであろう時間も必要なのだろうな。」という気持ちになりました。西川さんは「水に何かをする、のではなく、水の動き(あるいは様子あるいは言葉あるいは表情?)を感じながら・・・」と言っていました。それもわかる気がします。

まったくオチの無い、何を得たのかわからない、ワークショップでしたが、砂連尾さんには不思議な魅力があり、機会があればまた接したいな、と思いました。。。「わからないこと」と「わかること」にどれだけ差異があるのか。。。「わからない」という宙吊りにされたの気持ちのまま、昨夜は混沌とした中で、何者かと踊る夢を見ました。

ふと思いましたが、「指揮」もダンスですよね。しかも西川さんの言葉でいうと「演奏者に何かをする、のではなく、演奏者の様子を感じながら・・・」指揮する。そういえば、砂連尾さんとは2時間の間に、たくさんアイコンタクトしました。

〈とつとつな音〉
作:伊達伸明(美術家)

目標達成欲の強い人は、とつとつが許せない。
それが発展途上に見えるから。
仕切るのが好きな人は、とつとつが許せない。
それが牛歩戦術に見えるから。
オチがないと気がすまない人は、とつとつが許せない。
それが阿吽の呼吸に依らぬから。
若さの秘訣は?などという人は、とつとつが許せない。
それが身体の限界に見えるから。

未整理の過去と手さぐりの未来との間に
点描でしか描けない現在がある。
それを描く音、とつとつ。

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