意味をつけること、しないこと

東京から合唱ワークショップの応援にお越し下さった、
青山学院のワークショップデザイナー「みどびー」さんは、
普段はNHKでも働く、ヴァイタリティの溢れる御方だ。

東京から京都までボランティアで来て下さる、
というだけでも、素晴らしいのに、
自前のカメラと、据え置きのカメラの2台で
ワークショップの様子を記録して下さり、
後に、編集用の「構成方針表」まで
メールで添付して下さった。

しかも!

ワークショップ終了後、
独自の視点から、
ご自身が持たれているであろうテーマと関係させて、
ワークショップのふりかえりとご感想を書いた、
レポートまでインターネットにアップして下さった。

『合唱とワークショップ…ありそうでなかった組み合わせ』

私は今までこれほどの御方に出逢ったことがなかった。

打ち上げの席で、
お話を伺っていると、
彼女は「意味を見つけていく」こと、
そしてそれを咀嚼して、
自分の言葉で表現されていこう、
とするお力のある御方だと感じた。

帰ってすぐに書かれたであろう、
2000字を超える文章がそれを物語っている。

見習うべき力である。

( ちょっと、ずれますが、、

世の中を見渡しても
「意味づけていくこと」
に沢山出会う。

私の職場でも、
新しい作品を制作する時は、
『上演意義』すなわち、
なぜこの作品を子ども達に見せるのか、
を稽古前に文章化している。

意味付けの速度は
インターネットの進歩によって、
どんどん加速している。

誰もがインターネット上で
気軽に文章を書けるので、
「出来事」を「自分の言葉で発表する」
までの『時間』が短いと思う。

イベントをしていても、
皆、すぐに写真を撮り、
スマホから一直線にfacebookに向かい、
タグ付けをして、第3者にアピールする。

批判はしていない。
そういう時代なのだろう。

私自身も現に、今こうやって
ポチポチつぶやいている。

((関係ないですが、
デジタルが進歩すればするほど、
人はデジタル上のコミュニケーションを利用するので、
合唱のようなアナログな場はこれからもっと
必要とされていくように、思う))

 ずれました  )

一方で、映画監督の
想田和弘さんは
「ドキュメンタリーの編集」を

「自らが生きた過去を
現在の視点から解釈し
編みなおすための作業」

と定義している
(『選挙2』公式プログラムより)。

その作業には、リアルタイムでは絶対に
することの出来ない『時間』という要素が必要とされる。

監督は『選挙2』について、
「撮ったはいいものの、
そこで目撃した風景が何を意味し、
それに対して自分がどういう態度を取ればよいものか、
僕にはよく分からなかった。
そのせいで、長い間、
僕には撮った映像素材を編集したいという意欲が湧かなかった」
と話している(公式プログラム)。

監督は
衆議院選挙で自民党が圧勝した後、
急に映像を観てみたくなり、
「言葉にならないひらめき」を掴み、
一気に編集作業を終えたそうだ。

つまり、
自分の行った行動に
「意味をつけない」期間を置くこと、
意味付けのタイミングをずらすこと、
こういう生き方(?)やり方(?)もあるんだ、
とパンフレットを読んでいて思った。

(映画もむちゃくちゃ面白かった!)

かなり前置きが長くなりましたが、
私にとってもエバンのみなさんにとっても
先日行った合唱ワークショップは、
今までに一度も体験したことのない、
個々人にとって「意味づけ」しにくい時空間だったと思います。

でも、「感想を言うこと」に焦らないでください。

カトさんみたいに、
「山科最高でした。
音楽表現・技術的にはともかく、心底幸せを感じた。
何だろうこの感覚。生きてて良かった。
大袈裟やけど笑
見た事のない世界を見せてくれてありがとう」
と、言語化できない気持ちを、
『何だろうこの感覚』という
メッセージで表してくれている人もいます。

きっと、時間がかかると思います。

1

松山の「いっちゃん」の言葉。
「彼女たち(山科中合唱部)が大人になって
山科駅の改札から『音の広場』を見たとき、
『ここで歌ったんだ』って思ってもらえら」。

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