阪大でワークショップを学ぶ

私は4月から大阪大学でワークショップデザイナー育成プログラムを受講しています。期間は7月までで、その間、何度かエバンにはご迷惑をおかけすると思います。一生懸命、勉強してきますので、応援してください。すみません。

先週の土日が開講日でした。私は真面目(?)な生徒なので、2日間とも「誰よりも早く教室入りをする」ことを目標にしていました。理由は「教室の静けさを受け止めておきたい」からです。誰もいない教室は、静寂に包まれていて、窓の外から聞こえてくる鳥の鳴き声や、自分の心臓の音、遠くから近づいてくる足音などが、くっきりと聞こえてきます。人数が10人増え、20人、30人、と増えていくと、喋り声などが大きくなり、教室に響く音はやがて飽和状態になります。これは批判ではないですが、音が飽和状態だと、授業開始時刻になって先生が前に立っても、気が付かない人が多かったです。

ちなみに、2日目の朝は、平田オリザさんの講義でしたが、オリザさんは授業開始45分前には教室に来られて、受講生の感想や質問文を静かに読まれていました。その体験は、私にとってもしかすると授業以上に素晴らしい勉強になりました。

私は「音」に携わる活動をしている人間なので、気になったことが他にもありました。たとえば、ワークショップ中にグループに分かれてワークをする時間がありましたが、一つの教室でそれぞれのグループが同時に話し始めるので、円になっていても、声の小さい人の話は聞きづらかったです。よく話す、大きい声の人の意見が、そのグループの意見になるのは・・・う~ん、という気持ちが残りました。

はい、ここまで全て本筋とは関係ないです。今回書いておきたいのは、新しい、これからの「学習観」についてです。これは苅宿俊文氏のe-ラーニングの授業で知りましたが、従来の学校教育における「学習観」では、先生は上から「知識を授けるもの」、子どもは「不完全な容器」で知識を授かるもの、つまり先生と子どもは【縦の関係】と考えられていたそうです。しかし、日本は高度経済成長から成熟社会へと変容しています。多様な価値観を持つ人間同士が「心を一つにする」のではなく(協調性)、「価値観はバラバラな人間が、バラバラなまま繋がる」こと(社交性)が新しい時代には求められているようです。そこでの子どもは「仲間と共同する独立した個人」。教師は「その独立した個人である子どもを、どのように支援して引き出していくか」。子どもと教師は【ななめの関係】。なるほどなあ、と思いました。

エバンは教育団体ではないので、基本的にはメンバーに「上から教える、指導する」というやり方をしていません。既に自立した社会人の集まりです。その中で、指揮者である私は歌い手が歌いたい音を「引き出す」という役割を、もっと明確にしていきたいと改めて感じています。仕事に行く時間なので、続きはまた次回。キーワードはサードプレイス。

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