【ハンガリー記】セゲドでの旅を終えて

今、
日本に向かうフィンエアーの機内で
この文章を書いています。

この旅で経験した出来事を、
文章で表現することはきっと不可能でしょう。

それでも、
セゲドでの体験の断片をここに綴ることによって、
旅で感じたことを少しでも言葉にしたいと思います。

友達、ライバル、クラスメートについて

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(左がサボージュ、右がヴック)

私はまさかこの旅で
外国の友達が出来るとは思っていませんでした。

Vuk Milanovic(ヴック)との出逢いは
このセミナーを本当に豊かなものにしました。

ヴックはセルビア出身の25歳で、
大学で作曲を学んでいます。

私達はパートがベース同士でしたので、
自然と隣の席に座ることが多かったのです。

彼は出会った時から柔らかでユーモアのある男性でした。
顔を合わせると「Daisuke〜!」と微笑み、握手をしました。

彼は授業中にスコアリーディングの
成果を発表することを恥ずかしがっていましたが、
でも、彼から聴こえてきたピアノの音色と歌声は柔らかく、
彼の演奏した「Agnus Dei」(コチャール)には心が打たれました。

(その演奏がきっかけとなり、
私は最後のコンサートでコチャールを指揮することになる)

休憩時間に私が拙いピアノを弾いていると、
彼は静かに席に座り、聴き続けて、
そして「音楽的だ」と褒めてくれました。

私はセミナーが進む中で、
ある曲に魅力を感じていました。

7度や9度が多用されている難曲ですが、
自然に感情が溢れて、涙が零れる名曲です。

私は「これをコンサートで振りたい」
と彼に伝えていましたし、
彼はそれを応援してくれていました。

しかし、結局その曲は
別の参加者が指揮することになりました。

リハーサルで席に座って、
その曲が演奏されているのを聞いていると、
何だか失恋したような気分になって本当に悔しかったです。

しかし、その時、
ヴックは隣で私の悲しみを共に感じてくれました。

彼のおかげで、私はその失恋(?)を乗り越えて、
自分に与えられた曲にチャレンジしようという
勇気が湧き上がったことは書くまでもありません。

サボージュは22歳のハンガリー出身で、
ルーマニアでオーケストラの指揮を勉強しています。

彼は最初から圧倒的な存在でした。
スコアリーディングでは複数の声部をスムーズに、
しかも表情を持って弾いていましたし、
歌声は正確で、迫力がありました。
指揮のテクニックも他の受講生より飛び抜けています。

彼とはセミナーの中頃ぐらいから話し始めました。
話してみると案外分かり合える人間だとわかりました。

最終日の午前中に、このプログラムを
「ふりかえる」ための時間が設けられていました。

そこで『他の参加者についてどう思うか』、
というトピックについての話になりました。

そこで彼が
「Hashizume Daisukeが
このセミナーで一番成長したと思う」
と話し始めた時、本当に驚きました。

慌てて「サボージュの才能を羨ましく思っていた」
と答えると、サボージュは
「そんなことを言わないで欲しい。
君には君の才能がある」とコメントしてくれました。

彼はコンサートの大トリを務めました。
笑顔で圧倒的な指揮のテクニックを持って。

彼が振った『Exsultate Justi』は
今でも頭の中で鳴り響いています。

彼が同じクラスメートで本当に良かったです。
私は日本に戻った後も、彼の写真を見るたびに、
セゲドで感じた彼への嫉妬や羨望を思い出して、
これからも頑張ろうと思います。

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指揮の動作が誰よりも大きい女性がいました。
(私もまた動作の大きい人間の一人だったのだが)

彼女は先生からA3の紙を胸に突きつけられて
「この枠の中で指揮をするように」と注意されていました。

しかし、
音楽が始まると彼女は無意識に
その枠を越えて指揮をしていました。

彼女は困惑していました。

「今までのキャリアが否定されたように思う」
と言って、彼女は授業中に涙を流しました。

しかし、私達の中に、
誰一人として彼女を失笑する者はいませんでした。

私達もまた、
彼女と同じように自分達の築いてきたものを壊されて、
そしてその困難を乗り越えようとしていたからです。

教室は柔らかで、守られていて、
その環境の中で、私達は共に、揺らぎ、狼狽し、
他人を慮り、認め合い、喜び合いました。

次はその環境を創った、偉大なる指揮者
ロズゴニ・エーヴァ先生についての想い出を書きます。

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エーヴァ先生について

ロズゴニ・エーヴァ先生は
「怖くて厳しい」と噂されていました。

確かに先生は厳しかったです。

遅刻してくる者がいると、
御自身の時計をじっと見続けて教室を沈黙させましたし、
授業中に、参加者の短所を明確に指摘しました。

でも私には先生が怖いとは全く思えませんでした。
むしろ暖かみさえ感じてもいました。

先生は合唱を愛して、
また合唱団を愛して、
何より人間を愛されていました。

最初の授業で私が指揮を振り始めると、
先生はすぐにストップさせて
「あなたがこのクラスに参加して良かった」と言いました。

そして最も基本的な動作を私に教えました。
それは「手のひらを合唱団に向けないこと」。

(その動作は合唱団の口を抑えて
「歌わないで」と言っているように見えるから)

他にも、
「膝を曲げないこと」
「足を動かさないこと」
「指先を合唱団に向けること」
「打点の位置を上へあげすぎないこと」
「腕は脱力させること」
「3拍目を先ノリしないこと」
「使わない時、左手は腰にしまっておくこと」
「合唱団に音を与えてから不必要な間を作らないこと」
などなど・・・。

先生は参加者の短所を明確に指摘して、
成果が出ると、喜んで褒めて、
また次の課題を与えました。

先生は「講師」として振る舞うだけでなく、
私達をゲストとして、もてなしても下さいました。

毎日のコーヒーブレイクには
ご自宅で採れた果物を差し入れて下さいましたし、
ある日は授業の終了後に、
温泉に夜遅くまで付き添って下さいました。

毎日の夕食ではいつもテーブルまで来られて
「オイシイデスカ?」と聞いて回られました。

合唱指揮者にとって一番大切なことの一つは
「合唱団が安定して、
落ち着いて歌える環境を作ること」
とエーヴァ先生はおっしゃいます。

その言葉の通り、参加者はプログラムの間、
先生の作られた環境の中で守られながら、
自らの弱さをさらけ出して、
それを克服しようと素直に努力しました。
とても自然に、誰に促されるわけでもなく。

最終日のコンサートで、
私が指揮をし終わったあと、
先生の側を通って席に戻っている時、
先生は小さな声で「ヨカッタ」と
ささやいて下さいました。

そして、打ち上げでは一言
「才能を伸ばし続けて」
とコメントを下さいました。

その時ほど、
この先生の偉大さが身に染みた時はありません。

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セゲドで見上げた夜空は澄んでいて、
星の下でめぐり合った私達は、
まるで出会ってさえいなかったかのように、
もう共には居ません。

毎晩変わらずに明かりが灯されていた聖堂も、
休日の朝に窓から聞こえてきたミサも、
語り合いながら渡った大橋も、
クイーンを聞きながら見た噴水も、
フェスティバルで飲んだビールも、
授業を抜けて野外劇場で見たジャズオペラも、
テラスでディナーをしている時に通った馬車も、
それらはあまりにもドラマチックな瞬間で、
後から後からそれらが胸を締め付けます。

最終日の教会でのコンサートでは
バルトーク女声合唱団の美しく力強い声が響いていました。
その教会の中で、
震えながら指揮する出番を待った興奮は既に冷めました。

今、心はただただ空虚で、
寂しさのみが漂っては目から溢れ、
漂っては目から溢れてくるのでした。。。

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旅先で「あいちゃん」や「みねさん」に
仲良くしてもらいました。
他の日本から来られた参加者の方々にも
暖かく見守って頂きました。

そして何より
このセミナーをコーディネートされた
「なおみさん」に心から感謝します。

本当にありがとうございました。
またいつかどこかで。

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(なおみさんと打ち上げ会場にて)

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(パリンカを勧めるサンタ、、ではなくペーテル教授)

「松明は自分を犠牲にしながら燃える。
きっとそれはいつか消えてなくなるだろう。
しかし、その炎は次に続く者に渡すことが出来る。」
ゲーテ

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