『組曲虐殺』を観る

会社の研修(のようなもの)で、
井上ひさし・作 栗山民也・演出『組曲虐殺』を観に、
梅田芸術劇場に行ってきました。

満員の観客。非日常の時空間。
役者の演技と呼応するように、客席は笑い、鼻をすすり、静まりかえっていました。

舞台奥・上段にピアノが置かれていて、
音楽劇の形式で作られた『組曲虐殺』。
最初から最後まで勉強になる栗山さんの演出はもちろん、
小曽根真さんが弾くピアノ&井上芳雄さんの圧倒的な生唄もたっぷりと堪能出来ました。

歌うこと、演じることについて、改めて考えさせられました。
歌には言葉があり、言葉が歌になり、、。
感情的な台詞が歌になり、落ち着いた歌が台詞に戻り、、、。

役者がソロで歌い、その歌に他の役者たちが寄り添って、合唱になる。
印象的だったのは、それが「ミュージカル」の技法で作られていなかったことでした。

台詞からアプローチすると、ああいう演奏になるのでしょうか。

とにもかくにも、

仕事で、
エバンで、
深い表現がしたい、

帰りながら思いました。

プロの舞台をもっと見やんと。

・・・

鑑賞後、近所のスーパーで食材を買い、
夕食を作り、妻の帰りを待つ。
日常も、また大切。

「世の中にモノを書くひとはたくさんいますね。
でも、そのたいていが、手の先か、
体のどこか一部分で書いている。
体だけはちゃんと大事にしまっておいて、
頭だけちょっと突っ込んで書く。
それではいけない。
体ぜんたいでぶつかっていかなきゃねぇ。」
(井上ひさし『組曲虐殺』より)

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