合同練習はじまる

飲み過ぎで頭が痛い。。うう

昨日は合唱団「幸福の割れ鐘」と初めての合同練習が行われました。アンサンブルエバンは3月10日のハートフルコンサート(長岡京)に「割れ鐘」さんと合同で出演します。「割れ鐘」の指揮者・志村君が「死んだ男の残したものは」(武満徹)、橋爪は「たったいま」(松下耕)を指揮します。合唱団名は「Ensemble EVAN&幸福の割れ鐘」(「幸福のEnsemble」とかでも良かったね。こーあん)。昨日の練習を含めた計五回の練習で本番を迎えます。

さて、第一回の昨日は、代表の加藤さんによる進行のもと、企画の説明、お互いの団の紹介、メンバー一人ひとりの自己紹介、レパートリーの披露などが行われました。そのまま志村君の練習へ。最初から全パート合わせての練習でしたが、音取りをしているメンバーが多く、志村君も喜んで帰って行きました。志村君、次回もよろしくね。

ドキュメンタリー作家の想田和弘さんは言います。「芸術家にとって個々の作品と同じかそれ以上に、方法論の確立が重要である」「方法論は、一種の思想であり、哲学であり、態度である」(『演劇vs映画』岩波書店)。私もエバンの指揮者として、先人の叡智に学んだり、毎回の練習で「どのように練習を進めていくか、作品を作り上げるか」を試行錯誤しています。そして、その試行錯誤を繰り返しながら、自分自身の方法論を確立していきたいなあ、と常々思っています。

【最近考えていること】
日々の職場である演劇の世界において、「演出家」はその役割からしてディタッチメントである(演出家は板にのらない)のに対して、合唱の指揮者は合唱団と共に舞台にあがります。なので、指揮者は本質的にはコミットメントなのだとは思いますが、作品の制作過程においてはむしろディタッチメント的態度も必要ではと思い始めました。演出家の平田オリザは役者の内面を作り上げる発言をせず、外面的な動作や発話のみに「ダメだし」をすることで有名です。目線を何センチずらす、台詞と台詞の間(ま)を何秒空ける、、。その方法論を自分の練習でも試したいと思いました。
具体的には、練習の初期段階では、指揮を振らない。譜面台の代わりに机と椅子を用意して、自らキーボードを弾く。メンバーにも椅子を用意して、半円に座る。その際、パートごとに固まらずに、座席はアトランダムが望ましい(*)。着席前に握手をして、親愛の気持ちを表面化する。

(*)これにはちょっとした考えがあります。パートごとの群れの形成を少しでも避けたいという理由(エバンにはパートミーティングもパート練習もない。したがってパートリーダーはいない。中間管理を置かない)。一つは、同じパートメンバーが隣同士で歌うよりも、ちょっと離れた場所で歌ったほうが「よく聴く」のでは、という理由。一つは、隣が異性&異声のほうが楽しい!という理由。

練習の基本単位は一パート。橋爪の弾くキーボードと共に、一パート毎に歌ってもらいます。その際のチェックポイントは、音程、発音、発声、ブレスの位置です。それらで直してほしい事を可能な限り具体的にダメだしします。その間、他のパートメンバーは静かにそのパートを見守ってもらいます(そうすることが、実は「急がば回れ」的集団形成をするのでは、と私は思うからです)。パート単位での練習に目途がついたら、その作品の構造に基づいて、男声、女声、内声、下三声、、などを選択して、一緒に歌ってもらいます。その際のチェックポイントは、パート間のバランス、和音のバランス、音価(特に音の終了の長さについて)などです。その後、全パートで合わせます。その時もまだ指揮を振らずに、なるべく鑑賞者としての距離を保ちながら、演奏を聴くように心がけます。

・・・そんなことを意識しながら、練習を進めました。試行錯誤は続く。

ちなみに、頭の中で考えている計画は
1/26 2/9 テーブル稽古(譜持ち&指揮なし)
2/24 3/3 立ち稽古(暗譜&指揮あり)
3/9 通し稽古

練習後は居酒屋で懇親会を行いました。
練習も大切ですが、酒を飲みながら無礼講するほうが、もっと大切。
頭が痛い。うう

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(写真は去年の合同にて。しむけんとラブリー小川)

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