職場では一学期の公演が終わり、
秋に向けての新作の稽古が始まっている。
初めて取り組む新作の稽古。
役者として演技するのも楽しいが、
「稽古をどのように進めていくか」
を体験できることがとても勉強になる。
うちの会社は児童青少年の子ども達に向けて、
数えきれない数の作品を生み出し続けている。
その歴史の中で、
作品作りのプロセスは洗練化されており、
「次に何をすれば良いか」という進行において、
ほとんど迷いがない。
まず、稽古の始まりは
「あらすじ」や「上演意義」「起承転結」などを
役者たちが作成して、それぞれ発表する。
それが終わると、
所謂「読み合わせ」
(椅子に座って脚本を最初から読む)
という作業を行う。
私は読み合わせをしている時、
「演出家は、
どこで止めて
何を指摘して、
何度繰り返させて、
どのタイミングで次の場に行くか」
について、注意深く見ていた。
(なぜなら合唱指揮者の役割がそれと同じだからだ)
初めて読み合わせをした時、
演出家はほとんど流れを止めようとしない。
指摘もほぼしなかった。
そして、一回目の読み合わせが終わり、
二回目になると、
「アクセント」や「イントネーション」
などを指摘しはじめた。
その様子を見ていて、
私はなるほどなあ、と感じた。
(合唱の練習でも
「まず最初は曲を通す」
という選択をする合唱指揮者は多い。
まだ演奏者が歌い慣れていないのに、
細かく止めて、指摘されると
演奏者達は次第にストレスが溜まってくる。
「もっと歌いたいのに!」。
また、練習の初期段階で
「ここはこういうイメージで」とか
「ここの世界観は・・・」など
抽象的な話をされても、
演奏者側は「音程が不安定」
「発音が怪しい」などを気にしている場合が多い。)
読み合わせが三回、四回と繰り返される中で、
「声の高低」の指摘、
「セリフとセリフの間(ま)をどれぐらいに設定するか」の指摘、
「感情」についての指摘、
と徐々に高度な指摘が増えていく。
また、演出家が芝居を止めて、演出する頻度も
読み合わせが繰り返されるに応じて、
だんだん多くなっていく。
それらについて一通り役者たちが慣れた後、
作品作りは、ようやく立ち稽古に進んでいく。
—
この作品作りのプロセスは、
そのまま合唱の曲作りのプロセスに活かせることが出来る。
つまり、
〇指揮者の個人的感情で演奏を止めすぎない
〇練習の段階において、指摘する内容を選択する
(指摘したいことがあっても、
練習の段階によっては言わないでおく)
♪
自分が練習を進行する上で、スタイルを持つこと。
(この人が前に立つと、
おそらくこういう風に進めるだろうな、
という予測を、演奏者側が出来ること)
作品作りのプロセスを洗練化すること。
(個人の感情で現場を振り回さない)
そんなことを、仕事をしながら考えています。