おはようございます。
我が家はメゾネットタイプのアパートで、
もう2階では寝れないぐらい暑いのですが、
何とか扇風機をまわして過ごしています。
さて、
土・日曜日と練習を仕切らせて頂く機会が多くありました。
(EVANの練習&ESTのベース練習&男声練習)
その場がスムーズに進行していくには、
抑制のきいた、ユーモアのある、冷静な「強引」さが必要である、
というのは私の好きな安住紳一郎氏から(勝手に)学んだことですが、
それにしても“日常”ではあまり使わない言葉や、
声のトーン、口調を意図的に使用したので、
ESTの練習後、近鉄車内で考え込んでしまいました。
(少人数のEVANのほうが
インタラクティブに練習を進行出来た。)
(逆に、ESTの練習を進行した時のような方法で、
EVANの練習をすると失敗した、という経験をしている)
「まとめる」という作業は本当に困難な作業で、
どうしても繊細で小さな個々の感情(*)までには
焦点を当てることができないまま、
大きな「物語」や「思考」に刈られてしまいます。
*これは「楽譜の再現」とは別の話です。
(一方で「みんなはどう思いますか」という発言を端に、
「こう思う」「こう思う」「こう思う」の羅列が続き、
その内に、責任の所在が漠然として、
「みんなの意見」とかいう、よくわからん意見に
集約されてしまう、、というのも違うと思うのです)
そういう葛藤を心の中に抱えながら、
でも前に立った時は思いっきり「強引」に
練習を仕切らせて頂きました・・・。
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「主体性」と「協調性」の共存、
「個性」と「型」の共存、
「主観」と「客観」の共存、、
これらの共存というのは、
本当に難しい課題だと感じています。
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私は前に立つ人間の発する“特有”の「傲慢さ」や
「プライベートな会話」を聞くのが苦手で、
そういうのはなるべく消したい、と思っています。
実際、前に立った時はなるべく「フラット」に、
「無思想的」に、「内輪的」にならないように、、
を心がけています。
まあ、良いのか悪いのか未だわかりませんが、
これからも色々な指導者の練習を見学して、
好きな練習方法を模倣し続けて行こうと思います。
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「おにぎりで言えば、お米を選んで注意深く炊き上げ、
適当な力をこめて簡素にぎゅっと握る。
そういう風に作られたおにぎりは、誰が食べてもおいしいですよね。
文章も同じで、それがしっかり『握られ』てさえいれば、
性差や年齢差を越えて、そこにある気持ちは
わりにすんなり伝わっていくものではないか」
(村上春樹『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』)