3年間にわたり中止を余儀なくされてきましたが、この春より、活動を再開する運びとなりました。
とはいえ、何もかもが今まで通り、とはまいりません。
皆それぞれに人生を歩み、さまざまな体験を経て、今の生活を築いてきました。
子供たちもすっり大きくなり、当たり前の話ですが、園児だった彼らはいま、立派な小学生です。
4月には久々に顔合わせをしたのですが、ぎこちない大人たちと比べると、子供たちはそれこそあっという間に打ち解けて、いい意味で期待を裏切ってくれました。
このホームページのコピーも、「京都大阪の若い合唱団」でしたが、もう若くないかも…30代からアラフォー世代がボリュームゾーンになってきました。
とは言え、合唱界隈の中では、相変わらず若いのかもしれません。
40代で若手って、過疎化した村みたいですが…。
活動ペースについて、当面の間は、月に1回~2回程度となりそうです。
ひとまず、今年第60回を迎える6月の京都合唱祭に参加しつつ、その時のフィーリングをもって、またその先のことを考える、なんてことを話していました。
何のために活動するのか?
もともとの当団の理念は、生活の中に、音楽(それも聴く、ではなく演る!)を取り入れる!ということです。
どんなに仕事や生活が大変でも、忙しくても、音楽体験を通じた仲間たちとの心のふれあい、友情は、人生を豊かにする糧です。魂のごちそうです。
それを生み出すこの場を続けていきたい。
そして、我々の音楽を聴いてくださった方を幸せな気持ちにしたい。
そのためには、やはり気持ちのこもった、良い演奏、上手な演奏をしたい。
その思いは変わりません。
しかしながら、活動を続けていくには、いくつもの障害があります。
まずは単純に、生きていくのが大変。
仕事に家庭に、日々追われまくっているのが我々の世代です。
個々にライフスタイルも、ステージも違うメンバー同士ですから、その忙しさや置かれている環境は違うでしょうけれど。
だからこそ、相互にそれを慮り、助け合って活動したい。
そのために、保育だったり、練習場所選びだったり、演目だったりといった事柄、仕組みをいろいろと生み出してきました。
そういった創意工夫、試行錯誤を繰り返す。ここは今後も変わりません。
令和時代の団運営のあり方
小難しい話をするつもりはありませんが、なんとなく思っているのは、特定個人の強力なリーダーシップでもって、ぐいぐいと皆が引っ張られていくのではなく、メンバ―それぞれの思い、こうしたいという期待が少しずつ集まって推進力となり、ふわふわと飛んでいく。
しばらくは、そんな進め方をしたいなと思っています。
そら、誰か一人がビシッと決めなあかんこともあるやろし、誰か一人の名前を書かなあかん時もありますよ。こんな零細な人の集まりでも、人が集まって何かしようと思えばいろいろと細かいタスクが生じるのもやむなしです。
でも、特定の誰かをオーナーとしてその人に全責任をおっかぶせる(られる)のは、やっぱりしんどいし、チカラ入っちゃうなと。
荷物は、持てる人が少しずつ分け合って持つ方が、やっぱり楽ですし、もともとそういう感じの団ですし。
そして、コロナ禍を経て、思うようにやりたいことができなくなって、「幸せの閾値」が下がったというのもあります。
もとより、趣味の集まりなんだから、肩の力を抜いて、楽しみながらやっていきたいなと思う気持ちが強いです。
ただ集まって歌えることが、こんなにも面白く、愛おしい時間だったとはね、気付いてたけど。
何者かにならねばならぬ、凡庸であってはならぬという圧が強い世の中です。
私にも、そういう感情に取りつかれた時期がありました。
しかし、子供たちを見ていると、凡庸であることの愛おしさとか、一見凡庸な人の持つ非凡なる一面というものに気づかされます。
一人として同じ人はいない。
ひとりとして同じ声はない。
そうした人々が偶然出会って何か一つのことに、前向きに取り組む。
ビューティフルなハーモニーではありませんか。
昔からある合唱団と言うレガシーな営みが、一周まわって超絶令和っぽいなと。
令和の時代の合唱団を軽やかに、さわやかにはじめてみよか。
ちょっと集まって、良い感じに歌って、子供たちもわちゃわちゃしてて、いやぁ、人生楽しいね!
そんな気持ちになれる時間をもう一回つくろっかと、そんな感じです。
活動休止中もたくさんの見学のご依頼をいただいておりました。
一律でお断りせざるを得ない状況、大変申し訳ございませんでした。
今後は受け入れ再開しますので、お気軽にお問い合わせ&お越しくださいね。