パプリカの花言葉は「君を忘れない」

合唱活動と子どもたちとの関わりを考えながら、半年やってきて、今日を一つの到達点として位置づけてきた―――。

もちろん、そのような気負いはなくて、そもそも誰も欠けずに集まれただけで、今のエバンではもう成功したようなものです。

2月11日、関西混声合唱フェスティバル。
今日は大人組、幼児組、乳児組に分かれて活動しました。

幼児と大人でオンステですが、大人は2時間みっちり曲作り、幼児は服部緑地でエネルギーを大量放出!

抜けるような青空の下、思いっきり遊んで、そのままリハ〜オンステまで、流れるような時間を過ごしました。

5歳以下の子どもは、大人と違って立場や力では統率できず、出たとこ勝負な部分は排除できません。

その時、その瞬間の気分で行動が決まるし、ステージまで行くのか、行けるのかは、その時その場になってみないと分からない。

結果的には、思い描いた通りの「画」が展開できたように思います。

やはり、親としては子ども達と一緒にステージに立つこと自体、感慨深いものがあります。

また、親でない団員にとっても、赤ちゃんだった子ども達が、ホールで自らの足で立ち、お客さんを前にして歌っているのは驚くべきことだったと思います。

今回は、大人の完成された音楽に、子ども達を乗せるアプローチをとりました。
団員が編曲してくれたパプリカの演奏後半・曲中に、ステージ袖から子供たちを引き連れて入場し、最後まで一緒に歌いました。

一緒の時間は、わずか1分30秒。
子供たちは緊張しつつも初めてのステージ、1,300席の大ホールで歌うことができました。

* * *

エバンではあくまで、練習時間の配分を含め、大人の音楽ができることを大切にしたいと思っています。

我々は、音楽を届けるために活動しており、子どもたちの成長のために活動しているわけではないのです。

ただ、できれば、時間を共にしている者同士、大人も、子どもも育ちあう活動でありたいとは思っています。

子どもたちとって良い経験ができる機会があるのであれば、大いに提供したい。

それ以前に、大人にとって、練習と本番を繰り返す日々の合唱の営みが、音楽的にもエンタメとしても、より高みを目指す過程であってほしい。
エバンでの合唱活動そのものが、いつまでも新たな刺激や発見に満ちていてほしい。

一方、現実的な問題として、現代の日本は核家族化の進展で、祖父母や同世代の兄弟・いとこなどと集まって、みんなの子どもをみんなで見るような機会は減っているのではないかと思います。
乏しい子育て資源(人・エネルギー・時間)を前に、子育てや子守を理由に音楽やスポーツなど、長く続けてきた活動を諦める局面は多いと思います。

そこで立ち止まり、現実に呑まれるだけでは、ただ苦しいだけです。
子どもを切り離せないことがネックならば、いかに子どもと共に取り組むか、子どもと共に楽しむか、そこに大人と子どもそれぞれの遊びや学びをいかに見出すか、ということを考える段階に、我々は来ていると思います。

諦めるのではなく、やってみる、挑戦することこそが、豊かさや、生活の奥行きというものではないか。
今を楽しむ、今を味わい尽くすことこそが、本当に大切なことではないか。

なぜなら、子どもの時間は止まらないから。
すぐに大きくなり、きっと親と共に行動を共にしてくれなくなります。
それは自然なことです。

大人だって、誰もがいつまでも、今のように音楽を楽しんでいられないかもしれないのです。

災害が多い。病気や事故だってある。
転勤や転職、結婚や出産。
急に人生の局面が変わり、音楽どころではない状況に陥ることもあります。
あの時やっておけばよかった、では遅いのです。
みんなで一緒にできることがあるなら、一緒にやってしまえばいいのです。

今回は、決して予定調和ではありませんでした。
何が起きるか、本当に、本番のステージに立つまでわかりませんでした。

でもあえて挑戦し、みんなで新しい景色を見ることができました。
しっかりと調整を重ねたハーモニーの中に、子どもたちの歌声を載せて、一つの音楽として、いま、この瞬間しか作り上げることのできない作品として、客席に届けることができました。

眠りこける娘を担いで、くたくたで帰ってきた今、なぜかとても清々しい。

輝く光の中、ステージに立つ君たちの背中を見て、歌う私たち。
今日のこの体験と感動を、忘れないと思います。

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