今朝は実家のパソコンから書き込んでいます。
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私はこうやって自分の思っていることを書いたり、
練習中にEVANについての気持ちを語ったりしています。
もちろん、団について語ることは指揮者としての
「責任」「仕事」のようなものだと思います。
でも、ちょっと怖いなと思うのは、
「橋爪の語り」=「団の文脈」
になってしまうことです。
「文脈」は、物事が進行していくために必要ですが、
一つの文脈が受け入れられる代償として、
他の“在り得た”文脈は保留もしくは排除されてしまいます。
「文脈の選択」は
確かに集団を保つ方法の一つなのですが、
個人で練り上げた文脈が一人歩きしていくと、
かならずや、
その集団の思考を蝕んでいくと思うのです。
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今はこう考えています。
橋爪は語りますが、あくまで
それは橋爪からみたEVANの物語である、という前提。
でも、その物語は、
メンバーの存在によって、
常に更新されています。
メンバーの存在、
新鮮な感性との出会いによって、
文脈はアップデートされ続けます。
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「全員、語れ!」とは書いていません。
以前、そうして失敗しました(笑)
今はこう思っています。
メンバーひとりひとりの存在が、
すでに「語って」いるのだと。
私はその一人ひとりが発する「語り」に
耳を澄まして、自分の思考の糧としていきます。
(もちろん、読み取るだけではなく、
教えてもらうこと、話し合うこともしますけどね)
それが前に立つ者の
「しなくちゃならんこと」だと思っています。